故山内博元任天堂社長の名言 「30代や40代でゲームで遊んでいるような状況ではおかしい」

山内博元任天堂社長

任天堂社長在職時、配当だけで給料を貰っていなかったという山内氏。

ゲーム会社の社長なのに一切ゲームはやらなかったともいわれています。

しかし、興味のないものにあれだけの情熱を注げるのでしょうか?
ファミリーコンピューターは氏の直接の指示のもとで作られ、ニンテンドーDSも氏が社長から去るおりに、現社長らに話した携帯型ハードの構想そのものでした。

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おりしも両機種とも任天堂を一躍世界のトップへと導いたゲームハードです。

彼の残した言葉に「娯楽はなくても困らない」というものがありますが、それはいくつもの新しい体験を作り上げた同社だからこそのものでしょう。

娯楽はなくても死なないし、困らない。だから飽きる。
体験したことのない遊びの楽しさこそが娯楽の原点で、任天堂は常に新しい遊びを提案していく。

人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。
その時は、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、
しくじったら、その途端に、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、
次から次に反省が生まれるものです。
だから、どんなに人事を 尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。 

ゲーム製作者も、野球選手も棋士も力士もソフト屋。天才とそうでない者の差は紙一重。
そのわずかな違いが天地の差につながるのがソフトウェアの面白さ。

運を認めないといけない。
運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。
ところが、人間 ですからついつい運の存在を無視して、
「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。

ゲームビジネスで一番不足しているのは、デザイナーでもプログラマーでもなく実は才能あるディレクター。ゲームで遊んでいる人が心から満足して得心できる、それを私たちは完成度と言っているんですが、この完成度を高めるのがディレクターの才能なんです。

二十一世紀のソフトに大容量はいらない。そんな人海戦術を要する仕事をしていたらソフト会社はみんな沈没する

海外戦略はどうなるかということになりますが、結局、だれでもできるものをつくっていてはだめだということです。だれでもつくれるものは、価格意識が強ければ価格競争に巻き込まれるのは決まっているわけです。だから、自分のところしか、出せないものがつくれたら最高です。しかも、それが大衆の懐勘定と折り合いがつき、しかも多くの人たちが初めて体験するような珍しさと楽しさとおもしろさを味わわすことができさえすれば、これは円高でも何でも戦えます。そういう新しい新製品の開発ができるかできないのかということが決め手になってきます。

30代や40代になってまでも秋葉原あたりをうろうろして、
ゲームで遊んでいるような状況ではおかしい。

最後に、以下の言葉はまるでスマホゲー全盛の今を見てるようでもあります。

新機軸を打ち出さなければ、ゲームそのものがマンネリ化して飽きられる。また、”重厚長大”型のソフトは、内容が複雑で、制作に時間も人手も費用もかかる。数十億円をつぎ込み、百万本を販売するヒット作となっても、なお赤字という場合もある。それではビジネスとして成り立たない。”軽薄短小”でも完成度の高い面白いゲームはできる。

さて、30代になってもゲームをやってるんですが、これからのゲーム業界はどうなっていくんでしょうね。

それでは。
 

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